被災地・気仙沼に子どもの遊び場「あそびーばー」に行ってきました。

  4日の日曜日日帰りで気仙沼に車で行ってきました。
メンバーは友人と友人の娘さん2人(高校生、大学生)、小学校教諭、私の女性5人。
朝3時に出て気仙沼に着いたのは10時すぎ。すぐに子どもの遊び場「あそびーばー」に行きました。ここは子どもの心のケア、子どもの居場所づくり、子どもが思いっきり遊べる場所として4月にNPO法人日本冒険遊び場づくり協会が気仙沼本吉町に立ち上げたプレーパークです。

私有地にあるので、そこの家の庭先を入っていきます。入るとポニーやうさぎがいて、その奥に楽しげな空間が現れます。

その日3,4年生の子どもが6人遊びに来ていました。私の大好きなザリガニ釣りをするというのでついて行くと小さな沼に立派なザリガニが沢山いました。箸にスルメをつけて釣る古典的な方法ではなく、大きな網ですくうというやり方なのでかえって難しく名人の子どもが沢山獲っていました。
それに飽きるとまたひろばに戻り誰かが持ってきたサッカーボールで6人の子ども(内2人女の子)と大学生の娘さん、私でサッカーをしました。
ゴールも無く、地面の状態も悪いけど、子ども達は楽しそうでした。少しサッカーができる私を仲間に入れてくれ、とても嬉しかったです。

東京から気仙沼に引っ越してきてプレーリーダーの話によると今コミュニティの再生が大きな課題だそうです。人口7万人以上の気仙沼に若い人は少なく、高校以上は市外に出てしまうそうです。今回の津波で「あそびーばー」の隣の小学校の校庭にも186世帯の仮設住宅がみっちり建っていました。町会も解体され、色々な町会の人が集まっています。以前の町会長を中心の町づくりは難しいとのこと。だからといって誰が新自治会長になっても難しいだろうということでした。人々の複雑な思いをまとめていくのは若いエネルギーが必要な気がしました。

気仙沼は比較的瓦礫が1箇所に集められていて、震災以前にはここに家があったと言われなければわからないくらい、青々とした野原が一面に広がっていました。もう船が変な場所にある光景も少なくなっていました。

途中で船の帆を使ったバックやエプロンを作っているお店に寄って若社長さんと話しができました。店はとてもセンスがよく人が入れ替わり立ち代り来ては、カウンターでお茶を飲み、おしゃべりをして、帰って行きます。ここは人を元気にする場所でした。
社長さんはまだ気仙沼の復興は10パーセントも進んでいないと話してました。
でも社長さんは店の雑貨を使った食べ物屋を作りたい。気仙沼と友好都市である目黒に気仙沼復興にボランテイアで入ってくれる学生の拠点を作りたいなど意欲に燃えていました。

ただ陸前高田はひどかった。町ごと洗い流され未だに建物の残骸がいたるところにあり、瓦礫が積み上げられている。言葉を失う現場とはこの事だったと思いました。

道路も途中で寸断され、人も視察の人ぐらいしかいません。こんな光景を毎日見なければいけない人達は気が滅入るだろうなと思いました

気仙沼から陸前高田に移動する途中、練炭自殺の現場に遭遇しました。

やはり早く復興することは大切なこと。新たな1歩を踏み出している建設現場などを見ると、頑張っているんだ!と気持ちが前に向いてきます。

人の気持ちを前に向ける配慮をしながら復興を進めていかないといけないと思いました。

帰りにイオンの大型スーパーに寄って地元でしか売っていない震災の写真集を買って帰路に着いた。ここも1階まで水がきたそうだが今では跡形もなくきれいになっていました。

今回被災地に入ってみて花や木を植えたり建物を立てたり等、未来に繋がることを早く始めることが人々の心を前向きに健全にしていくのだと思いました。                  広吉敦子