地震当日は運営に携わっている「子どもの遊び場」でお母さんたちとおしゃべりをしていたら突然グラグラ。
「あっ 地震」と止まるのを待っていたら全然止まらず、思わず「皆、外へ」の掛け声と共に親子で外に。地面にしゃがみこみ皆で肩を抱き合って鎮まるのを待った。
送電線が大縄跳びのように大きくしなる。ただ事ではない事だけは分かった。
その時10組ぐらいの親子がいただろうか。
私は、2人子どもを連れているママの赤ちゃんを抱っこして皆で無事を確認し合う。
少し落着いたらすぐに自分の子どもの事が心配になり、「子どもの遊び場」を閉園して家へ向かう。
子どもは小学校から下校してきていて夜の7時半には家族全員揃う。
しかし東京はその日帰宅難民を大勢だした。
東京で地震が起こるということはこういうことだと改めて思い知らされた。
その週の週末は何をやっていたかあまり記憶にない。多分津波のTVに釘付けだったのだろう。
翌週から日常には戻れず、今後の「子どもの遊び場」の対応を考える会を開く。
週半ばぐらいから1軒1軒町内を歩いて地震後の様子を聞いてみた。
「寝たきり老人を介護しているが、もし地震がきたら対応してもらえる避難所はあるのか?」
介護している人が今回の東北の避難所生活を見てとても心配になったようだ。
「備えあれば憂いなし」今後、直下型大地震が起こる可能性も捨てきれない。
特に病人、障害者、高齢者、乳幼児連れ、妊婦などの対策を考えなくてはならないだろう。
しかし実際に地震が来たときには共助が大切になってくるだろう。ご近所との連携を高め、
いざという時には助け合える関係性。やはりこれにつきるのではないだろうか。
「計画停電の区の放送が聞き取りにくい」
防災無線は反響するので聞こえづらい。区のホームページが一番正確なのだが、インターネットの環境がない人も多い。
孫から聞いているという人が多かったが身寄りのない独居老人は不安でならないと思う。
やはり近所づきあい、人と接することが大事だ。
「オムツが買えないがどうしたらいいか?」
私も神戸に住んでいたが、阪神淡路大震災には半年違いで遭遇することはなかった。もし、遭遇していたら、小さな子どもを抱えオムツがなくなったらパニックになるだろうなと思ったことがあった。
やはり大きな地震や災害に遭った時は小さな町の町長さんのように1軒1軒安否を確認してまわれるようなそんな人が必要だと思った。
その機能を行政に全て期待するのは無理だし、町会にそこまで依存することはできない。
民生委員にも荷が重すぎる。災害に遭ってから始めてもだめで常日頃からの関係性がものをいう。
地震の危機感がある今こそいざという時に備えて民も官も智恵を出し合い、対策を練っていく必要がある。
今こそそんな都会の薄い関係性を見直していこう。