被災地視察・・・宮城県・仙台〜石巻〜気仙沼〜岩手県・遠野〜宮古へ(パートⅡ)

今回は東日本大震災で後方支援として大きな役割を果たした遠野市の報告をします。

内陸と沿岸の中間地点に位置する遠野市は人口3万弱の市ですが、東日本大震災時に自衛隊、消防隊、医療隊等の支援部隊を受け入れ集結させ、迅速に各方面に展開させて後方支援拠点として大きな役割を果たしました。これもただ構想だけでは出来なかったことで、大規模な実践的震災対策訓練を平成19年・20年と2度、約1億円をかけて行ったことが、実際の震災時に役立ったと言われています。
もともと遠野市は半径50キロ圏内に沿岸部の宮古市、山田町、大槻町、釜石市、大船渡市、陸前高田市、内陸部の花巻市、北上市、奥州市を包括しておりヘリコプターで15分、陸路で1時間の距離です。遠野市は115年前、田老町沿岸部に津波が来た際にも後方支援をしたという歴史があり、遠野市長は真剣に津波が来た際に遠野市が後方支援の拠点になると捉えていたそうです。
今回の災害時には、支援部隊が被災地に行って救助、支援を行い現場の情報を持って遠野に戻ってくるということを繰り返し、途絶えた通信手段の中、情報を収集しました。遠野市役所自体も被災し、市役所内が使用できなくなり遠野市の行政機能回復だけで大変な時に市長のリーダーシップの下、後方支援に果敢に取り組んだのです。
粉ミルクのエピソードは象徴的で、まだ物資が届く以前に避難所に粉ミルクがなく乳児の命がまずは危ないという時に職員に遠野市内の薬局に買いに行かせ、領収書の名目、予算など未定のまま、粉ミルクを必要としている乳児に届けたのです。
法律、手続きを超えた遠野市長の迅速な判断でスピード感のある対応ができたということです。本来ならば市町、県、国が連携して災害時には対応すべきですが、指示を待っていては手遅れとなってしまう事例はたくさんあります。どんな人が生活しているのか熟知している基礎自治体だからこそできた対応だと思いました。
このことから今後、直下型地震が来るといわれている関東周辺自治体も災害時にはスピード感のある対応ができるよう国、県・都、市区の縦の連携だけでなく、区同士、市区と横の連携を支える責任、権限、財源を踏まえた新しい仕組みを今から考えていくことが重要だと感じました。

広吉 敦子